はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [12]

■2008.1/8

この日は鉄道にてワイマールへ移動。ベルリンから2時間半程で着きます。ワイマールはワイマール憲法が制定された町で有名ですが、人口わずか6万程だそうです。


■バウハウス(Bauhaus)
1919年、ドイツ・ヴァイマル(ワイマール)に設立された美術(工芸・写真・デザイン等を含む)と建築に関する総合的な教育を行った学校です。
また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともあります。
学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間ですが、表現傾向はモダニズム建築に大きな影響を与えました。
「バウハウス」はドイツ語で「建築の家」の意味で、中世の建築職人組合である「バウヒュッテBauhutte」という語(「建築の小屋」の意)をグロピウスが現代的にしたそうです。中では小物や昔の設計図や、イス等が展示していました。



「ゲーテとシラーの像」
■ゲーテ(1749年8月28日 - 1832年3月22日)
ドイツの詩人、劇作家、小説家、科学者、哲学者、政治家。特に文学において優れた作品を多く残し、シュトゥルム・ウント・ドラングとヴァイマル古典主義を代表する作家の一人です。
一方隣のシラーは、ゲーテの親友でゲーテの分筆活動に非常に大きな影響を与えた人。
46歳でシラーが亡くなった時、ゲーテは何日間も泣き崩れたそうです。





■ワイマール市庁舎
写真の左右ははマルクト広場という所で、ホットドッグのような焼いたソーセージの屋台がいくつもあります。中央はネオ・ゴシック様式の市庁舎です。

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [11]

■2008.1/7PM

■ブランデンブルク門 (Brandenburger Tor)
ドイツ・ベルリンのシンボルとされている門で正面部はパリ広場 (Pariser Platz) の東に面しています。高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11mの、砂岩でできた古典主義様式の門です。
ブランデンブルク門は18箇所あった都城の門のひとつで、残りの門が城壁の取り壊しとともに姿を消していく中、唯一残されたのがブランデンブルク門だそうです。


■連邦議会議事堂の周辺施設
大規模な格好いい建物だと思って写真をたくさん撮ったのですが、特に有名な建物ではなく議員さんが働く施設でした。


■フンボルト大学
ドイツのベルリンにある大学。ベルリン・フンボルト大学と訳すほうが整合的で日本からも森鴎外・北里柴三郎・寺田寅彦・肥沼信次・宮沢俊義らが留学している。


■世界文化センター (旧国際会議堂)


■カリヨンの塔

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [10]

■2008.1/7AM

□赤の市庁舎
テレビ塔とマリエン教会の中間地点に赤の市庁舎があります。
外壁に赤いレンガをも用いたゴシック様式の市庁舎です。

□ベルリン大聖堂 (-だいせいどう、 Berliner Dom )
ベルリンのミッテ地区にあるホーレンツォレルン王家の記念教会。
ひときわ目を引くドームが印象的な建物で、もともとの教会を1905年に建て替え、114mの高さを誇る天蓋は第二次世界大戦で被害を受けましたが、1993年に修復され現在の姿になりました。王家ゆかりの人々の墓碑などがあります。
今回の建築でユダヤ博物館と並ぶ一番印象深い建物です。本来は近代建築を見なければいけないのでしょうが、個人的にはこのような建物が大好きです。どの角度からみても壮大で迫力がり、最初は建物の裏側を見てすごいと思っていましたが、実は表側でないことに気付き二度ビックリしました。よくもまぁ、このような建物を昔の人は作ったなぁと不思議に思いました。人間とはすごい生き物です。



□ドイツ連邦議会議事堂
建築家パウル・ヴァロットが設計し1894年に竣工した議事堂は統一ドイツ(旧ドイツ帝国のこと。1871年に成立し1918年に崩壊した)の象徴的建築物であった。
その後、第二次大戦末期にベルリンに侵攻したソ連軍によって爆破され、戦後は廃墟のまま放置されていたが、ベルリンの壁崩壊後は再び議会として使用することになり、ノーマン・フォスター設計の元、旧議事堂の外観を維持しつつ再建された。つまりこの建築は二度に渡るドイツ統一に関わってきた象徴的な意味を持つそうです。
外観は保たれているが中身は完全な新築で、ファサード保存のような形になっています。
私達が行った時も長蛇の列でした。

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [9]

■2008.1/7AM

この日は一日自由行動でした。ホテルから可能な限り歩ける場所まで名所を視察しました。

■マリエン教会
1250年に建てられたベルリンで2番目に古い教会。森鴎外の「舞姫」の舞台にもなりました。
実はドイツ行きが決まったのを機に、舞姫だけは読んでおこうと思い、多少の知識があり、一味違った思いで見学しました。



■森鴎外記念館
医師であり、小説家、翻訳家、劇作家でもあった森鴎外が、ベルリン留学中に滞在していた下宿が森鴎外記念館になっています。2階の部屋の一部が当時の調度品を使用し再現しています。
せっかく遠くまで歩いたのですが、残念ながら14:00までで中は見学できませんでした。



■ベルリンテレビ塔
ベルリンタワーとも、 テレビタワーとも呼ばれ、ドイツの首都ベルリン都心の、交通の中心地アレクサンダープラッツ(アレクサンダー広場 Alexanderplatz)に位置するテレビ塔。
テレビ塔の正確な位置は、北緯52度31分15秒東経13度24分34秒。テレビ塔は、旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)によって、東ベルリンだった地区に1965年から1969年にかけて建設され、東ベルリンのシンボルとなってきた。テレビ塔は現在はドイツテレコムの所有となっており、ベルリン中心部のどこからでも見ることができるベルリンの有名なランドマークである。建設された当時の高さは365 mだったが、1990年代に新しいアンテナが設置されたため、現在の高さは368 mとなっている



■聖ニコライ教会
この教会は、1230年頃に建てられたベルリン最古の教会といわれています(写真右)

■旧博物館
古代エジプトの美術品がズラリと並んでいる

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [8]

■2008.1/6 PM

□ユダヤ博物館
ベルリンのユダヤ博物館は、2001年9月9日に開館したヨーロッパ最大規模のユダヤ博物館です。開館の2日後に9.11ニューヨークのテロが起こり、そのため1ヶ月程休館したそうです。
このユダヤ博物館の設計は、現在ベルリン在住のアメリカ人ダニエル・リベスキンド(Daniel Libeskind, 1946年ポーランド生まれ)、非常に良く計算されていて、建築やデザインの分野では話題の建築物です。
リベスキンドは音楽から転身した異色の建築家で、2002年に第5回ヒロシマ賞を受賞した注目の建築家だそうです。
日常の空間では水平、垂直、直角が基本ですが、ここは床、壁、天井で水平や直角な場所はひとつもなく、不思議な空間です。ユダヤ人の不安定な気持ちを表したそうで、そうすることによって、より緊張感のある独特な空間を作り上げているそうです。
今回の研修の中で一番面白い建物でした。最初は床が水平でないことに、違和感を覚えたのですが、慣れてくると長時間いても気にならなくなりました。
ちなみに窓も水平な窓はひとつもありません。この建築家が設計した建物で、実際にできあがったのは、このユダヤ博物館のみだそうです。




このユダヤ博物館は上空から見るとダビデの星を分解して広げた形になっています。
ダビデの星(だびでのほし)は、ユダヤ教、あるいはユダヤ民族を象徴するしるしです。
二つの正三角形を逆に重ねた六芒星(ヘキサグラム)といわれる形をしており、イスラエルの国旗にも描かれています。

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [7]

■2008.1/6 PM

午後からはベルリン市内に戻り、ソニーセンター・新ナショナルギャラリー・ユダヤ
博物館・ベルリンの壁を視察しました。

□ソニーセンター
ソニーセンター(Sony Center)はドイツ・ベルリンの中心であるポツダム広場にある複合施設。ソニーのヨーロッパの拠点として2000年に完成した。
総工費は7億5000万ユーロで、施設にはソニーヨーロッパの本社をはじめ、ソニースタイルストア、オフィスビル、高級アパート、フィルムハウス、ドイツ・メディアテーク、商業施設、シネマ・コンプレックス、IMAXシアターが入ってる。
ベルリンの壁崩壊後のポツダム広場の再開発の目玉として建設され、ドイツ現代建築の最高峰として注目を浴びており、現代ベルリンの象徴の一つである。




□新ナショナルギャラリー
20世紀の現代美術を展示したギャラリー。ドイツ表現派,リアリズム,キュビズム,ポールクレー,パブロ ピカソからアメリカ現代美術まで幅広く展示しています。
1965~68年に一部地下のガラスのパビリオンとしてミース ファン デル ローエが設計。
○ソニーセンター1~4



□ベルリンの壁
ベルリンの壁(ベルリンのかべ、Berliner Mauer)は、1961年から1989年の間に存在した
東ドイツ(東ベルリンを含む)と西ベルリンを隔てる壁で東ドイツが建設しました。
第二次世界大戦後、西ドイツ側をアメリカやイギリスを初めとする資本主義国が統治し、東ドイツ側を社会主義国であるソ連が統治することになりました。
この際に起きた思想の摩擦により壁が建設されたとされます。冷戦時代の象徴、そしてドイツ分断の象徴とも言われましたが、1989年に破壊され、現在は一部が記念碑的に残されている以外存在しません。
ベルリンの壁は両ドイツ国境の直上ではなく、すべて東ドイツ領内に建設されていました。


はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [6]


■2008.1/6 AM

1/5の夕方から飛行機でベルリンへ移動し、6日はベルリン市内を視察しました。
午前中は観光地ではなく住宅街を周りました。
目的地へ着く前にコルビジェの設計したマンションがあると聞き、寄り道しました。
当時としては珍しいメゾネット形式のマンションです。







□高級住宅街(ベルリンで最も高級な住宅街:ターレム地区)
一戸建て形式はほとんどなく、高級住宅地といってもあまりピンときませんでした。



はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [5]

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [4]の写真続き









オランダ紀行2009:フォトギャラリー

2009年:海外研修「オランダ編」のフォト記録です。

オランダ紀行2009


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はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [4]

■2008.1/5 PM

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [3]の続き∼

□ハードフェルベ住宅展示場見学写真

外観(個人的には特に目を引くような建物は無かったです)





はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [3]

■2008.1/5AM

●シュテーデル美術館 (Das Stadel) 見学
この美術館は、ドイツのフランクフルト・アム・マイン市にある美術館です。
フランクフルトの銀行家ヨハン・フリードリヒ・シュテーデル (Johann Friedrich Stadel) の遺言により設立されたために、この名があります。
1818年に開館し、1878年には現在博物館・美術館の集積する地区となったシャウマインカイ通り(Schaumainkai)の現在地に新館を建てたそうです。
所蔵作品にはルノアールやモネ、キルヒナーの他、ちょうどルーカス・クラーナハ(※1)の展示会が行なわれていました。
それまで美術館は数回しか行った事が無かったのですが、あまりにも有名な絵画を拝見させてもらい、当時は今のような絵の具や道具がなかったものの、繊細な描写と迫力に人間業とは思えないものを感じました。
又、現在と同じように、絵で飯を食うには大変な時代で、権力者等のスポンサーがいなければ生活ができない為、キリストやアダムとイヴ等宗教的な絵がとても多かったです。

(※1ルーカス・クラーナハ
ルネサンス期のドイツの画家。同名の息子も画家であるため、ルーカス・クラナッハ(父) と表記されることが多い。 同時代人の宗教改革者マルティン・ルターの友人で、彼の肖像画を多く残している。クラーナハの描く、腰の細くくびれた独特なプロポーションのヴィーナス像は、ティツィアーノやジョルジョーネのヴィーナスとはまた異なった、独特の官能美をかもし出している。)

午後からも市内を視察予定でしたが、住宅展示場があると聞き、予定を変えてもらい、ハードフェルベの住宅展示場(フランクフルト最大規模で65棟展示しています)を見学しました。


■2008.1/5 PM

●ハードフェルベ住宅展示場見学
ドイツの建物はマンションのような集合住宅がほとんどで、一戸建てはあまりないようです。一部の新興住宅地に建てる人向けに、このような住宅展示場があります。
パッと見たところ、日本のスウェーデンハウスのような三角屋根の建物がほとんどで、四角い屋根は一件しかありませんでした。
全体の印象としては、ほとんどが既製品の組み合わせで、北デザインのような建物は無く、画一的な町並みでした。
ただ、断熱は外断熱+軸間断熱+内断熱で、壁厚300~400程もありました。
寒さ対策は日本よりもずっと過剰におこなっていました。気温はこの時期で0°C前後と、札幌より少し暖かく感じました。


●構造体の模型(分厚い壁です)

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [2]

■2008.1/5AM

【フランクフルト市内視察】
●レーマー見学

大聖堂からほんの200mほど西に歩くと、1405年から旧市庁舎として使われていたレーマーが建っていました。
こちらはフランクフルトのシンボルで、もともとイタリア商人が使っていた3つの建物を市が買い取って改装したものです。
ちなみにレーマーとは「ローマ人達」という意味です。
ここも戦災で焼け落ちましたが、このあたりの一画だけは昔の姿に復旧され、レーマーの2階には戴冠式を終えた皇帝が祝宴を催すカイザーザールがあります。
市の行事がない時には旅行者でも見学できるようです。
2002年のワールドカップで2位になったドイツチームが帰国後この2階のバルコニーに勢揃いし、GKカーンが結果報告をした場所でもあります。
私達が行った日はあいにく雨が降っていましたので、晴れた日の写真も添付します。
何となく、おとぎの国のような感じがしました。ちなみ国旗はEUとドイツとフランクフルトだそうです。



○レーマー1 ○レーマー2


●ローマ遺跡見学

大聖堂からレーマーまで歩く途中にこの遺跡があります。
紀元1世紀頃、モゴンティアクム(マインツ)に駐屯していたローマ軍団の前哨基地が大聖堂の近くに作られ、100人程度の守備隊が常駐していたと考えられているようです。
この跡地は戦後の再開発に伴う発掘調査中に発見され、「歴史の庭」と名付けられています。
2000年も前の遺跡が現存して、何とも言えない気持ちになりました。



○遺跡1 ○遺跡2

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [1]

●2008.1/4夜

●フランクフルト到着
日本との時差は8時間程です。成田から10時間45分程のフライト無事でフランクフルト国際空港に到着。

■フランクフルト
政治都市である首都ベルリンに対する経済の中心都市で、ニューヨーク、ロンドン、東京と並び世界経済の重要拠点であり、欧州を代表する世界都市です。
人口は65万程で第二次世界大戦で破壊された旧市街・建造物が復元されている一方、ドイツを代表する多くの銀行(ドイツ銀行、コメルツ銀行、ドレスナー銀行など)の本店が入居する超高層ビルが林立する一角もあり、「マインハッタン」(マイン河畔のマンハッタン)の異名を持つなど、他のドイツの都市とは異なった趣の町並みをしています。
ガイドさんの話では、フランクフルトは人間の手でいかにも造られた感じで、ドイツらしさが無く、あまり好きではないと言ってました。



●2008.1/5AM

●大聖堂見学
神聖ローマ帝国ゆかりの場所で皇帝の戴冠式※1が行なわれた教会です。
完全なカトリックの教会でゴシック建築となります。
日本にいた時から教会というものには、全く興味がなかったので、基本的な知識は皆無でしたが、あまりの大きさと荘厳さに圧倒されました。
ガイドさんの説明ではこの教会はホール式と呼ばれるもので、何が違うかというと、一般的には中央の天井が高く両サイドの天井は低いのですが、こちらは全体の天井高が全て同じになっているとのことでした。
建築時期は1239年に礼拝堂の改築が企画され、実際には14~15世紀までかかって建てられたものです。
高さ95mの塔まで全て完成したのは1877年です。

(※1 戴冠式(たいかんしき、coronation)とは、君主制の国で、国王・皇帝が即位ののち、公式に王冠を受け、王位・帝位への就任を宣明する儀式即位式ともいいます)



○大聖堂内部1○大聖堂内部2



○大聖堂外観


 

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