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はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [4]

■2008.1/5 PM

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [3]の続き∼

□ハードフェルベ住宅展示場見学写真

外観(個人的には特に目を引くような建物は無かったです)





はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [3]

■2008.1/5AM

●シュテーデル美術館 (Das Stadel) 見学
この美術館は、ドイツのフランクフルト・アム・マイン市にある美術館です。
フランクフルトの銀行家ヨハン・フリードリヒ・シュテーデル (Johann Friedrich Stadel) の遺言により設立されたために、この名があります。
1818年に開館し、1878年には現在博物館・美術館の集積する地区となったシャウマインカイ通り(Schaumainkai)の現在地に新館を建てたそうです。
所蔵作品にはルノアールやモネ、キルヒナーの他、ちょうどルーカス・クラーナハ(※1)の展示会が行なわれていました。
それまで美術館は数回しか行った事が無かったのですが、あまりにも有名な絵画を拝見させてもらい、当時は今のような絵の具や道具がなかったものの、繊細な描写と迫力に人間業とは思えないものを感じました。
又、現在と同じように、絵で飯を食うには大変な時代で、権力者等のスポンサーがいなければ生活ができない為、キリストやアダムとイヴ等宗教的な絵がとても多かったです。

(※1ルーカス・クラーナハ
ルネサンス期のドイツの画家。同名の息子も画家であるため、ルーカス・クラナッハ(父) と表記されることが多い。 同時代人の宗教改革者マルティン・ルターの友人で、彼の肖像画を多く残している。クラーナハの描く、腰の細くくびれた独特なプロポーションのヴィーナス像は、ティツィアーノやジョルジョーネのヴィーナスとはまた異なった、独特の官能美をかもし出している。)

午後からも市内を視察予定でしたが、住宅展示場があると聞き、予定を変えてもらい、ハードフェルベの住宅展示場(フランクフルト最大規模で65棟展示しています)を見学しました。


■2008.1/5 PM

●ハードフェルベ住宅展示場見学
ドイツの建物はマンションのような集合住宅がほとんどで、一戸建てはあまりないようです。一部の新興住宅地に建てる人向けに、このような住宅展示場があります。
パッと見たところ、日本のスウェーデンハウスのような三角屋根の建物がほとんどで、四角い屋根は一件しかありませんでした。
全体の印象としては、ほとんどが既製品の組み合わせで、北デザインのような建物は無く、画一的な町並みでした。
ただ、断熱は外断熱+軸間断熱+内断熱で、壁厚300~400程もありました。
寒さ対策は日本よりもずっと過剰におこなっていました。気温はこの時期で0°C前後と、札幌より少し暖かく感じました。


●構造体の模型(分厚い壁です)

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [2]

■2008.1/5AM

【フランクフルト市内視察】
●レーマー見学

大聖堂からほんの200mほど西に歩くと、1405年から旧市庁舎として使われていたレーマーが建っていました。
こちらはフランクフルトのシンボルで、もともとイタリア商人が使っていた3つの建物を市が買い取って改装したものです。
ちなみにレーマーとは「ローマ人達」という意味です。
ここも戦災で焼け落ちましたが、このあたりの一画だけは昔の姿に復旧され、レーマーの2階には戴冠式を終えた皇帝が祝宴を催すカイザーザールがあります。
市の行事がない時には旅行者でも見学できるようです。
2002年のワールドカップで2位になったドイツチームが帰国後この2階のバルコニーに勢揃いし、GKカーンが結果報告をした場所でもあります。
私達が行った日はあいにく雨が降っていましたので、晴れた日の写真も添付します。
何となく、おとぎの国のような感じがしました。ちなみ国旗はEUとドイツとフランクフルトだそうです。



○レーマー1 ○レーマー2


●ローマ遺跡見学

大聖堂からレーマーまで歩く途中にこの遺跡があります。
紀元1世紀頃、モゴンティアクム(マインツ)に駐屯していたローマ軍団の前哨基地が大聖堂の近くに作られ、100人程度の守備隊が常駐していたと考えられているようです。
この跡地は戦後の再開発に伴う発掘調査中に発見され、「歴史の庭」と名付けられています。
2000年も前の遺跡が現存して、何とも言えない気持ちになりました。



○遺跡1 ○遺跡2

はりしゅ∼の「ダンケシェ∼ン」 [1]

●2008.1/4夜

●フランクフルト到着
日本との時差は8時間程です。成田から10時間45分程のフライト無事でフランクフルト国際空港に到着。

■フランクフルト
政治都市である首都ベルリンに対する経済の中心都市で、ニューヨーク、ロンドン、東京と並び世界経済の重要拠点であり、欧州を代表する世界都市です。
人口は65万程で第二次世界大戦で破壊された旧市街・建造物が復元されている一方、ドイツを代表する多くの銀行(ドイツ銀行、コメルツ銀行、ドレスナー銀行など)の本店が入居する超高層ビルが林立する一角もあり、「マインハッタン」(マイン河畔のマンハッタン)の異名を持つなど、他のドイツの都市とは異なった趣の町並みをしています。
ガイドさんの話では、フランクフルトは人間の手でいかにも造られた感じで、ドイツらしさが無く、あまり好きではないと言ってました。



●2008.1/5AM

●大聖堂見学
神聖ローマ帝国ゆかりの場所で皇帝の戴冠式※1が行なわれた教会です。
完全なカトリックの教会でゴシック建築となります。
日本にいた時から教会というものには、全く興味がなかったので、基本的な知識は皆無でしたが、あまりの大きさと荘厳さに圧倒されました。
ガイドさんの説明ではこの教会はホール式と呼ばれるもので、何が違うかというと、一般的には中央の天井が高く両サイドの天井は低いのですが、こちらは全体の天井高が全て同じになっているとのことでした。
建築時期は1239年に礼拝堂の改築が企画され、実際には14~15世紀までかかって建てられたものです。
高さ95mの塔まで全て完成したのは1877年です。

(※1 戴冠式(たいかんしき、coronation)とは、君主制の国で、国王・皇帝が即位ののち、公式に王冠を受け、王位・帝位への就任を宣明する儀式即位式ともいいます)



○大聖堂内部1○大聖堂内部2



○大聖堂外観


 

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